エッセイ『旅の途上の』

知の流れにまかせるまま異国にたたずんでいると知が騒ぎます。何かと出くわして衝撃を受けることによって知が身体をつたいます。でも、知のにじむような旅の向こう側には知のしたたる至福が待つので知しぶきを浴びたり異郷者として通過儀礼的に生き知を吸うことは厭わないです。旅人の知は争えません。

一所懸命な空間と一生懸命な時間

旅の途上のあらゆるものが「一所懸命」から「一生懸命」となりました。かつては空間に命を懸けていた人々は今では時間に命を懸けるのです。

はるか昔、人々が「一所懸命」に労働に従事していた頃、彼らは場所に縛られていました。ゲルマン民族が大移動してヨーロッパを西へと向かったり、狩猟採集民族や遊牧民が移動しながらの束の間の定住を経験したり、はたまた華僑や日系移民らが明るい未来を求めて海を横断していたような移動は、例外的なものであり決して日常的な風景ではありませんでした。農奴は荘園や領主の土地に縛られ、自由に移動することはできなかったからです。

だから例えば、誇り高きマンディンカの戦士クンタ・キンテはガンビアから大西洋を越えて新大陸に辿り着いたとは言え、奴隷として米国のレイノルズ農場に売られ、そこから自由に動くことが許されなかったので、やはり場所に拘束されていたのです。移動手段の少ない時代では1つの場所が人々を詰め込む空間だったのです。

その後、彼らは場所から解放され移動の自由を手にしました。トーマス・クックのおかげで団体旅行が活発化し、移動することが日常的な風景となりました。

ところが、せっかく場所から解放された人々は近代化に伴って誕生したクロックタイムによって時間に縛られるようになりました。空間的な「一所懸命」から時間的な「一生懸命」への折り返し地点となったのです。場所に縛られていた頃は体内リズムで日々を過ごしていたのに、時計が世界のリズムを刻むようになったせいで定時に食事をしたり働いたりすることを強要され、ついには娯楽までもが時間に牛耳られるようになりました。何かを懸命に為すことは空間的ではなく時間的な営みとなってしまったからです。

しかしながら、時間に囚われることになったとはいえ、わたしたちは空間をこじ開けて飛び地を発生させることによって時間を旅することができるのです。浦島太郎が玉手箱を開けるまで100年以上も旅していたように、そしてオデュッセウスが帰郷するまで時を刻んでいたように、わたしたちも旅することによって時間を空間から離陸させるのです。