エッセイ『旅の途上の』

知の流れにまかせるまま異国にたたずんでいると知が騒ぎます。何かと出くわして衝撃を受けることによって知が身体をつたいます。でも、知のにじむような旅の向こう側には知のしたたる至福が待つので知しぶきを浴びたり異郷者として通過儀礼的に生き知を吸うことは厭わないです。旅人の知は争えません。

異郷空間のリズム

旅の途上で遭遇した異郷者たちの空間は喧噪に満ちていました。

故郷から遠く離れた異空間を彷徨う旅人らはその異空間で暮らす土地者にとっての異郷者であり異質な他者です。でも異質な他者にとっては土地者の方こそが異質な他者です。土地者からしたら異郷者らはみな同じような異郷者ですが、異郷者である旅人らも一枚岩ではなく、彼らからしたら他の異郷者はみな土地者と同様に異質な他者です。ここには複数の異質性があり、重層的な他者性が渦巻いているのです。

幾重もの異質性がひしめき合う空間は異質な喧騒で溢れかえり、カエルの合唱が複数の言語で反響し合い、発せられた言語は跳ね返るときには異なる言語となり、弾力性に富んだいびつなゴムボールにように想定外のところに着地するから、その駆け引きの中で旅人らは異質なメッセージに打たれ合うことになります。多様な楽器や声が同時に繰り出され、まるで音楽作品という空間が生産されているようです。音の風景を生み出すプロセスでサウンドスケープは様々なスケープと交錯し、聞こえる音と聞こえない音が静かにぶつかり合うのです。

聞こえない音はリズムに分解され、身体に刻印された「自己のリズム」は外部に指向した「他者のリズム」へと連なります。自己の内に取り入れられて飼い慣らされた個別具体的な複数の他者のリズムは、自己のリズムと向き合うプロセスで少しずつ抽象化されて大文字の他者のリズムとなり、自己のリズムを多少なりとも規定することになります。自己の内にある他者のリズムとの交渉によって研ぎ澄まされた自己のリズムは、自己の外側にある他者に辿り着くために新たな他者のリズムへと翻訳されながら他者へと方向づけられるのです。自己がステージに送り出すよそ行きのリズムと、抑制に堪えきれず漏れ出てしまう内なるリズムは重層化するから、故郷のリズムと異郷のリズムはぶつかり合いながら浸透して視覚のシンフォニーを生み出します。

そういった様々なリズムが織り成すアンサンブルは異郷空間のシンボリズムとなって旅人たちを誘い寄せ、異郷自体を常に動かせ続けることで旅の途上を旅させるのです。