エッセイ『旅の途上の』

知の流れにまかせるまま異国にたたずんでいると知が騒ぎます。何かと出くわして衝撃を受けることによって知が身体をつたいます。でも、知のにじむような旅の向こう側には知のしたたる至福が待つので知しぶきを浴びたり異郷者として通過儀礼的に生き知を吸うことは厭わないです。旅人の知は争えません。

波打つ言葉たち

旅の途上の異邦性という静寂の中で異質な言葉の反響音を聴くとき、旅人は幾多の小さな音のつらなりを、打ち寄せる波のように感じながら異文化の浜辺に立ち尽くします。

街の中の市場に足を踏み入れると、波のように大挙して押し寄せる言葉たちが礼節を伴った通過儀礼で旅人を歓待しました。店主と客との値引き交渉のために仕切られた空間で壁に投げつけられたボールを打ち返すような音の連鎖は高さの境界線を突き抜けます。陳列棚に手の届かない老女の消え入りそうな訴えを何度も聞き返し、身振り手振りで応戦しながら行商する使用人は風浪とうねりを混在させた音を海に投げ返します。そんな舞台の波と波の合間を縫うようにして卸問屋とブローカーが人波を掻き分けながら陸の舟を漕艇して地響きのような声を発するのです。

一団のコーラスに背景のメロディーを託しながら、個々の楽器はクレッシェンドとデクレッシェンドを錯綜させて、ニュアンスに境界づけられたアクセントを打ち消し合います。音の大海原がハーモニーを奏でる一方で、個々の楽器は舌と唇を器用に泳がせながら舌先を歯に触れさせたり唇を開く絶妙なタイミングで作り出される言葉の波に魂の肝を浮かべて相手に届けます。荒れ狂う大海の波々は何かの瞬間に静まり返るけれど、また次第に静寂の中で局所的にうねるような大波が出現して旅人の聴覚系を乱します。

同じ音はいつ聴いても常に異なり、異なる音はいつ聴いても同じです。同じ波は違う場所で発生すると異なって見え、異なった波は遠くから眺めると同じように見えます。決して同じはずではないのに同じに聞こえ、振動する空気の機嫌によって同じものが異なって聞こえます。同じ音と異なる音の境界線は明確ではなく、境界線の気配すらが波々によって洗い流されてしまい、音は途切れることなく連なったひとつの帝国を築くのです。

しかしながら、最初は断絶されることのなかった言葉の波は徐々に落ち着きと穏やかさを取り戻し、やがて波の中から分節化された言葉が忽然と姿を現して旅人に優しく囁くようになるのです。境界線を把握して意味を嗅ぎ取る能力を身につけた旅人は、このときはじめて異郷に辿り着くのです。