エッセイ『旅の途上の』

知の流れにまかせるまま異国にたたずんでいると知が騒ぎます。何かと出くわして衝撃を受けることによって知が身体をつたいます。でも、知のにじむような旅の向こう側には知のしたたる至福が待つので知しぶきを浴びたり異郷者として通過儀礼的に生き知を吸うことは厭わないです。旅人の知は争えません。

小さくて大きな街

旅の途上で立ち寄ったとても小さな街グアナファトはとても大きな街でした。

狭い峡谷にしがみつくように立ち並ぶコロニアルな建造物や住宅の数々はみな色気づいていました。パレットに表現され得る全ての色が施された建物群はカラーチャートと化し、不規則に散りばめられたスペクトラムが立体的なデッサンで街全体を自己主張しているかのようです。

夜になると、ひしめき合う家々の合間を縫う狭い通りはいつの間にか迷路へと姿を変えて琥珀色の黄色に輝き、街中にボヘミアンな雰囲気を漂わせます。ネオンや信号機の無い街は幻想的かつ神秘的で、視覚的な異世界にアクセントを加えるマリアッチバンドが広場で奏するセレナーデは視聴覚のイリュージョンを錯綜させ、タコスの屋台から漂う芳ばしい香りは五感の指揮棒に狂いを生じさせます。

ちぐはぐに居住まう建物に合わせて舗装された彩り豊かな石畳の道は全てが曲線的で数多く、拓かれた山腹に建てられた色とりどりの家々と壮大な植民地時代の建造物は曲がりくねった階段やトンネルや路地で結わえられ、街中で車を見ることはほとんどありません。そんな迷路のような街のレイアウトは人々を簡単には逃さないように見えない糸で一心不乱に呼び込みます。それでも人々が石畳で道に迷うことを快く受け入れているのは、行くはずだった広場とは異なる別の広場に辿り着いたとしても、木陰のベンチで有意義なひと時を過ごすことができるのを約束されているからです。

偶然の出会いや発見を意味するセレンディピティがもたらされる可能性が高いのは、例えば「口づけの小道」と呼ばれるシンボリックな路地裏に代表されるような身体的に密接する多くの舞台が此処彼処に築かれているからなのです。月桂樹が織り交ぜられた木陰の下のベンチでたまたま昼下がりを過ごしていると、たとえ意図した結果が得られなかったとしても、それとは全く無関係に開いた口に牡丹餅が飛び込んでくるような意図せざる結果が訪れることでしょう。街の象徴である多彩な色の数だけ多彩な物語を街が演出してくれるから、この小さな街はとても大きな街なのです。