エッセイ『旅の途上の』

知の流れにまかせるまま異国にたたずんでいると知が騒ぎます。何かと出くわして衝撃を受けることによって知が身体をつたいます。でも、知のにじむような旅の向こう側には知のしたたる至福が待つので知しぶきを浴びたり異郷者として通過儀礼的に生き知を吸うことは厭わないです。旅人の知は争えません。

旅する故郷

旅の途上で異郷と故郷を交錯させながら旅人がようやく辿り着いたのは旅する故郷でした。

故郷を後にして、隔てた時の空間を張り裂けるほど膨らませながら異郷を探し求める苦悩の旅人が、必死にもがきながら自分の故郷から解き放たれようとしていましたが、旅の途上で巡り会う地に異郷を見出すことができないでいました。

折に触れて異郷に遭遇したと思いきや、表面に付された架空の飾り付けが一皮剥けるやいなや、異郷が浮かび上がらせて仮面の節々に染み渡らせる故郷の姿に旅人は裏切られるのです。遠く離れると赤色も黄色も黒色もあるはずの地球が青く見えるのと同程度に、全く異なるはずの異郷が少しずつ本質的に同じような故郷の青色に集約されるからなのです。

そうやって試行錯誤を重ねながら行き着いた土地でいよいよ異郷に出会い、その異郷が撒き散らすように弾き返す排他性が放つ居心地の悪さに安息感と解放感を覚えたときに、異郷が醸し出す異質性が心地良いリズムで舞うことを可能にするドラムの音々と重なり合うことに気づかされ、ずっと異質なものだと思っていたものが自分の内なるリズムと響き合う限りにおいて、実はそれは自分と同質なものであるという結論に至るのでした。

異質だと思っていたものが同質だったと気づかされ、異郷だと思っていたものも故郷で、逆に故郷だと思っていたものが異郷であったのだと最初のうちは遊び心の疑念を抱いていたことに対して次第に然りと首を縦に振ることができるようになり、巧みなダイアローグによって故郷と異郷が翻訳し合いながら別の新たな文脈を生み出しているのを目の当たりにすることになったのです。

故郷は必ずしも故郷にあらず、生まれたときから故郷にいながらにして異郷を旅するものが探していたのは異郷ではなく実は故郷だったのです。時間的もしくは空間的な距離が生み出す故郷という概念は、したがって、その距離の伸縮によって境界線が際限の無い周期の中で満ちたり引いたりする潮のようにおぼろげに変貌する旅人のようだという思いが胸に去来するのです。